小説などの書き出しは知っているものがあっても、その最後となると…。どういう風に終わっているのか、なかなか覚えていないのではないでしょうか。

文芸評論家・斎藤美奈子さん(新潟市出身)の「名作うしろ読み」(中央公論新社、中公文庫)は、「古今東西の名作132冊を、ラストの一文から読み解く」作品批評ですが、未読の作品は読みたくなり、既読の作品は再読したくなる、面白くて役に立つ一冊です。

本書は、一つの作品が見開きで紹介されています。最初に見出し風にラストの一文があり、あらすじ、作品によっては書き出しもあり、評、寸評、そして著者の略歴があります。

紹介されている作品は、多彩です。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の書き出しが有名な川端康成の「雪国」、夏目漱石の「坊っちゃん」などの日本文学から、シェイクスピアの「ハムレット」といった海外文学、さらには児童書、歴史書、文明や自然について書かれた本などもあります。

テーマごとに7章に分かれていて、第1章は「青春の群像」、第2章は「女子の選択」です👇

目次の一部からも、紹介されている作品の多彩さがお分かりになると思います。

3章以下は次の通りです。()の中はその章で最初に紹介されている作品・著者名です。
③男子の生き方(「蒲団」田山花袋)、④不思議な物語(「雪国」川端康成)⑤子どもの時間(「一房の葡萄」有島武郎)、⑥風土の研究(「富嶽百景」太宰治)⑦家族の行方(「黒い雨」井伏鱒二)

具体的に一つだけ、「若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。」で終わる作品を紹介します👇

上の画像をお読みになれば、おわかりですよね。司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」(文春文庫など)です。

この作品について、斎藤さんは次のように書き出します。
「自由人で型破りで柔軟な発想の持ち主で、しかも女性にモテモテで、でも少年時代はおねしょをしてて、という今日の坂本龍馬像はこの本によるところが大きい。司馬遼太郎『竜馬がゆく』。文庫版で全八冊(単行本では全五巻)にわたる大著である。」

そして最後の「寸評」はこんな感じです。

「ベンチャーマインドを刺激されるのか、『坂の上の雲』と並んで経営者が愛読書によくあげる本。累計で2000万部超のロングセラー。司馬遼太郎作品の中ではいちばん人気だそうだ。」

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さて、そももそ斎藤さんはなぜ、本のエンディングである「お尻」について書こうと思ったのでしょうか。それについは、本書のあとがきといえる「名作のエンディングについて」に書かれています。

「名作の『頭』ばかりが蝶よ花よともてはやされ、『お尻』が迫害されてきたのはなぜなのか。

『ラストがわかっちゃったら、読む楽しみが減る』『主人公が結末でどうなるかなんて、読む前から知りたくない』そんな答えが返ってきそうだ。『ネタバレ』と称して、小説のストーリーや結末を伏せる傾向は、近年、特に強まってきた」。しかし「あえていいたい。それがなんぼのもんじゃい」

斎藤さんの舌鋒は鋭さを増します。
「お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである。っていうか、そもそも、お尻を知らない『未読の人』『非読の人』に必要以上に遠慮するのは批評の自殺行為」。

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「やや強引に定義し直せば、人々がある程度内容を共有している作品、『お尻』を出しても問題のない作品が『古典』であり『名作』なのだ」。

なるほど。確かに、「竜馬がゆく」のお尻読むと、読んでみたいと思わされます。他の作品も、「興味が半減」どころか、とてもそそられます。

読めば、読みたくなる本がいっぱい増える”危険な”本ですが、読書の秋、本選びの参考に本書を手に取ってみてはいかがしょう。

なお、当ブログでは、藤岡陽子さんの「晴れたらいいね」(光文社文庫)に書かれた斎藤さんの解説を紹介しています(#134 従軍看護婦の目で戦争を疑似体験「晴れたらいいね」(藤岡陽子) | アルビレックス新潟と本のある幸せ (husen-alb.com))。よろしければ、こちらもご覧ください。

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