今回も「古典」に関する本のご紹介です。といっても、「けっして固くるしい古典の解説本」ではありません。清川妙さんの「つらい時、いつも古典に救われた」(早川茉莉編、ちくま文庫)は、「日々の暮らしを愉しくいきいきと営むために、古典の言葉が私たちをどう支え、励まし、助けてくれるかを語った本」です。

清川さんは、いちばん支えになった古典は、「枕草子」「徒然草」「万葉集」だといいます。本書は3章に分かれていて、第1章は、「清少納言の心のバネ・好奇心」、第2章は「兼好さんのしなやかな知恵」、3章は「古典のシンクロニシティ―」で、「万葉集の心を多く採り入れ」ています。

枕草子について清川さんは、次のように書きます。「その繊細鋭敏な、冴えわたる感覚が好きだ。本の間に挟まれた小裂(こぎれ)の色のなつかしさ。車輪に押しひしがれた蓬のほのかな香り―どんな小さなものも、それを喜ぶ心を注ぎかければ、生きて光ってくれる、ということを、清少納言は手をとって教えてくれた」

そして「落ち込んだときの自分の心を、明るい方にパッと弾き返す強力バネの使い方を伝授してくれた」のも清少納言だといいます。「どんなに苦しいことがあっても、やはり、この世は捨てたもんじゃないのよ。生きる価値はあると思うわ」。つらい日の清川さんには、「彼女のそんなささやきが聞こえてきた」そうです。

その第1章の冒頭で清川さんは、「『みんなが、つまらない花だと相手にしない梨の花だって、せめて見ると、はなびらの先に、ほのかなピンクがついているのが分かるはずよ』と、〝木の花は〟の章で、清少納言は言っている」と書き、続けます。

せめて見る。それは、いいところを見つけるぞという意志を持ち、目に力を入れて、こまやかに、ていねいに見ること。私たちも、彼女の提案を、日々の暮らしの中に、ぜひ採り入れたい。その心の姿勢を持つか持たないかで、日々が輝きを増すか、ただ空しく過ぎていくかが、大きく分かれていくのだから」。

「せめて見る」、とても素敵なコトバですね。私も「日々の暮らしの中に、ぜひ採り入れたい」と思います。

第2章の「徒然草」からは、「自由で、きめつけない大らかな心。迷信や世間の噂にとらわれない合理的精神。そして、世の中の事象は、すべて不定。いつ、どんなことが起こるか分からない。死もまた、いつ襲うか分からないということを心に刻みつけておけ、という教え」を学んだと言います。

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これに続き清川さんは、「だからこそ、と、兼好は熱っぽく語る。『存命の喜び、日々楽しまざらんや』―生きていることを喜び、日々を大切に扱わなければならぬ、と」と綴っています。

ちょっと堅苦しい感じを受けるかもしれませんが、そんなことはありません。この章には、「仕事を持ってい生き続ける女性は美しい」という文章があります。そこで清川さんは「プロを目指し、プロ意識を持ち、プロの仕事をしようと願っている女性のかたに、このページで、私は語りかけてみたい」と、エールを送っています。

「プロの仕事というのは、あるひとつのことを自分の仕事として選んだ以上、そのことに対する愛情と誇りを充分に持って、やり続ける仕事をいうのである」といい、「徒然草」にある「才能がなくても、それを一生の仕事として続け、働きぬいていく人は、才能があるとうぬぼれている人を、いつか追い抜く」というコトバを紹介しています。

その上で、「誇りを持つことと、自分の欠点をみつけることは、決して矛盾しない。いい代えてみれば、誇りを持つからこそ、自分に足りないところがみつかるのだ」と書き、再び兼好さんの言葉を紹介しています。

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一道に携わる人(プロ)は、自分のわるいところがよくわかるから、いつも自分に不満。だから、一生の間、自分でなやみ、自分を磨きつづける。専門家でない人(アマ)は、ちょっとよくなると、これでいいやと思って、好き勝手なことをする。専門家が基本を大切に守って、ていねいな仕事をするのとは、反対である

そういった意識を持ったプロの女性の方々の逸話も織り交ぜられていますので、心温まり、励まされ、男女を問わず前向きな心持ちにしてくれるのではないでしょうか。

最後の「万葉集」は、「生きていることを何より大事にしていて、愛の心がどの歌にもみずみずしくあふれている」から好きだと言います。「愛の世界、兄弟愛の世界、親子の愛の世界、それぞれが身にしみ通る愛隣の情で歌われている」

そして、もうひとつ、「天然現象に対しても、動物、植物に対しても、人間の仲間であるかのような共感を持って歌っていることにも、目をみはる気がする。星の林に漕ぎ入っていく月の船、花妻である萩の花を訪ねて恋を語る雄鹿。万葉を読めば、生きていることが心底貴重なことに思えてくるし、まわりのものすべてがいとしくなる」といいます。

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清川さんは「まえがき」の最後で「この本のどのページからでも、気ままに読んでいただきたい。探しものをしていたあなたの心にピタリと寄り添ってくれる言葉がきっと見つかるだろう」と綴っています。

以下、同書から、私の「心にピタリと寄り添って」くれ、「付箋した」ものを、いくつか紹介します。

▼自分自身が喜ぶこと、そして、人のことを喜んであげること、この二つは微妙にからまりあって、人間をほんとうの意味の楽しみ上手、喜び上手にする

▼ひとときひとときをていねいに生き、一日一日を充実させて生きる。楽しみ上手、喜び上手ということは、自分の力で、心を明るませ、ふっくらさせて生きるということ

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▼将来にわたって、こうしたい、こうなりたい、というような夢を持っていながら、のんびりかまえ、怠けて、目の前のことに紛れて月日を過ごしていると、なにごとも達成できず、いつか年をとっている。その道のベテランになることもなく、いい暮らしを立てることもできず、ああ、しまったと思っても、もはや遅い。そうなると、まるで坂道を走り転がる輪のように衰えていくばかりなのだ

◆書きながら、なおも思った。どんなことをするときも、〝直心実行〟という言葉を意識に据えてしようと。おだやかな素直な気持でできる気がする。そうだ。文章を書くときも、この気持ちで書こう。名文を書くぞ、などと構えず、まっすぐ素直に、いちばん読者に伝えたいと思うこと、伝えて喜んでもらえることを、分かりやすい言葉で書こう。

◆花笑みということばが好きである。このことばを聞くだけでも頬に微笑がのぼってくる気がする。花笑みとは、もともと、つぼんでいた花がパアッとひらく様子を言うことば。(略)私たちは人に会うとき、話すとき、いつもこの花笑みを添えているようにしたいと思う。目と目が合ったとき、固いつぼみがほどけて、花ひらくあの瞬間の、こころよい笑みを、人に贈りたい。 

◆老いていくということは、一度しかない人生の容量がだんだん小さくなっていくことである。だが、それをけっしてはかなんだりせず、いのちの終わりの日まで、愛しぬき、愛しきりたい。『万葉集』の感情ゆたかな歌人たちは、そのことを教えてくれる。

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