「YouTubeとかで学ぶのではなく、本を読むことなどで人間的な土台を広げてほしい。例えば論語とか、古典的なものに触れてみるとか」
これは、J1昇格を決めたアルビレックス新潟の松橋力蔵監督のコトバです。スポニチ新潟支局さんが昨日(11月27日)のツイートで、アルビレックス新潟が今季の練習を打ち上げたということを伝え、松橋監督がオフの過ごし方について、選手にこう話したと紹介していました👇
そこで今回は「論語」について書こうと思います。といっても、「論語」のような「古典」は、なんか難解そうで、とっつきにくいと思われる方もおられるでしょう。
そのため、まずは「古典に触れてみる」とっかかりの一冊として、「声に出して読みたい日本語」(草思社)などの著作でおなじみの齋藤孝さんの「古典のすすめ」といえる、「古典力」(岩波新書)を紹介します。
齋藤さんは同書で、「古典」を「いわゆる古文のみでなく、世界の古今の名著の意味で使って」います。そして書名でもある「古典力」は、「名著を自分の古典として日々の生活や思考に生かす力のこと」だといいます。まさに松橋監督のいう「人間的な土台を広げる」ことに繋がりますね。
そして「『古典力』という耳慣れない言葉をあえてタイトルに据えて世に訴えるのは、今この時代にこそ古典を活用する力が必要だ考えるから」だそうです。
その第一としては、「古今東西の名著とされる書物には、精神の核を形成してくれる力、生命力」があるからだといいます。
インターネットの発達で情報環境が激変した現代では、「移り変わる表層の景色に目を奪われ、『自分は大丈夫なのか』と不安になり浮足立つ」。そんな時、「百年、千年の時を超えて読み継がれてきた書物を読むことで、『ここに足場があった』と自信を持つ事ができる」というのです。
さらには、世界は「グローバルな情報が行き交うようになってはきた」ものの、「民族間、宗教間、国家間の緊張は必ずしも緩和して」いません。「多様な価値観を理解し受容するには知性が求められ」ます。
「数々の古典を自分のものとしていくことで、この知性が鍛えられる。自分の好き嫌いや快不快だけで判断せず、背景や事情を考え合わせ、相手の考えの本質をきちんと理解する。この深みのある思考力が知性だ」だからです。
しかし「日常の思考は他愛もないことが多い。他愛もないことを語り合い、メールし合うのは人生の大切な楽しみではあるが、それが生活の大半を占めているのでは、深みのある思考力が育ちにくい」。だからこそ古典力が求められるのです。
本書には「古典を読むための十カ条」などのほか、「知らないと恥ずかしいと思われる」マイ古典にしたい名著50冊の紹介もあります👇
「古典を読むための十カ条」のうち、私は第四条の「パラパラ断片読みー全部を読もうとしない」がとても参考になりました。
「まずは肩の力を抜いて、パラパラとページをめくる。そして、偶然出会った文章に心をとめ、そこから何かの刺激を受け取る。パラパラ読みをすることで、リラックスして感性が目覚め、刺激を受けやすくなる」
「論語」は、岩波文庫(金谷治訳注)のカバーの説明によりますと、「孔子とその弟子たちの言行を収録したもの」で、「人間として守るべきまた行うべき、しごく当たり前のことが簡潔な言葉で記されて」います。
この岩波文庫版の「論語」は、原文である漢文と、読み下し文、口語訳が各段ごとに記してある上、分かりやすい注もあります。同様の齋藤さん訳の「論語」(ちくま文庫)もあります。パラパラとめくって、訳文の「偶然出会った文章に心をとめ」て、刺激を受けてみるのもいいかもしれません。
「論語」に関する本もたくさん出版されています。このうち、昨年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」主人公・渋沢栄一の「論語と算盤」は有名で、ちくま新書から現代語訳も出ています。本屋さんで見比べて、自分に合いそうな一冊を求められてはいかがでしょう。
「論語と算盤」については、齋藤さんの「古典力」にも、第2章「生きた古典力」で「実践を支える古典力ー渋沢栄一の論語の生かし方」として紹介されています。
それによりますと、渋沢は「論語」を生涯座右の書とし、「古典の言葉を日々の実践に生かす『実践読み』を、実に見事に行った人物」だそうです。
齋藤さんは、彼の著書「論語と算盤」というタイトルから、渋沢の古典力が「はっきりわかる」といいます。
渋沢の生きた時代は、論語は「人の道を説き、国の治め方を説いた書であり、金銭に関わる商業とは遠いもの」と考えられていました。「士農工商という江戸時代の商業蔑視の影響もあり、利益を上げることを目的とする商業は、『論語』の精神とは相反するものとしてみる見方も根強くあった」といいます。
しかし渋沢は「『論語』の教訓を商業・実業に活かせるはずだという確信をもって『論語』を読み、生涯その言葉を信念として活用」しました。
「論語と算盤」には、「一般にはかけはなれていると思われがちな『論語』と算盤(商業)を深く結びついたものとして世に問う覚悟が、明確にタイトルに表れている」。しかも「『ただの「論語」』ではない。自らの実業人生を『論語』で貫く、という生涯をかけた証明を行ったのである」というのです。
本書に紹介されている「齋藤流マイ古典50選」は、👇のような感じです。
この50点は、「古今東西の古典になじむきっかけとして」選び、齋藤さんなりの紹介がしてあります。
選ぶ視点としては、「古典として評価が高いもの」、「現代に生きる私たちにとって多くのヒントを含むもの」、「がんばれば読めるもの」、「心身の芯を揺さぶり活性化させる力のあるもの」などを意識したといいます。
まさに「古典になじむきっかけ」として、格好の一冊だと思います。