「何かが足りない
それでぼくは楽しくない
足りないかけらを
探しにいく」
これは、S・シルヴァスタインの絵本「ぼくを探しに」(講談社)の一節です。
私がこの本を知ったのは、#255で紹介した、早稲田大学ラグビー部の元監督、中竹竜二さんの著書「鈍足だったら、速く走るな」(#255 等身大の自分を受け入れる 「鈍足だったら、速く走るな」(中竹竜二) | アルビレックス新潟と本のある幸せ (husen-alb.com))の、「はじめに」の冒頭で引用されていたからです。
中竹さんは、これに続けて、「ぼくらはみな、もっと成長しようと、自分に足りないものを探しています。もっといい成果を生み出そうと、成功者の経験や法則から学び、自分のできないことを補い、日々実践しようと努力しています。でも、がんばっても、がんばっても結果が出ない。しかも、現実はぼくらの努力なんかお構いなしに成果を求め続ける。そんなの楽しくない」と綴っています。
それでは、この本はいったいどんな絵本なのでしょうか。
訳者の倉橋由美子さんは、この本(原題The Missing Piece)の魅力について、次のように書いています。
「絵も文章も単純さの極地を示していて、厚手の紙の卵の殻に似た表面とその白さ、それに黒い活字、これが原書を手に取った時にまず感じる魅力」
その上で、「大体、私たちの人生は自分の足りない何かを求めてどこまでもころがっていくという物語とはかなり様子の違ったものである」と書き、続けます。
「そういうことをある時期に卒業して大人になるのが普通の人間なので、いつまでも自分のmissing pieceを追い続ける、というよりその何かが『ない』という観念をもちつづけることが生きることのすべてであるような人間は芸術家であったりだめな人間であったりして、とにかく特殊な人間に限られる」
「ところがそんなことを承知の上で、無事に、あるいは苦労して生きてきた人間がある程度年を取ってきた時に気づくのも、実はこの欠けて足りない何かである」
この絵本は、
「だめな人と
ダメでない人のために」
というコトバで始まります。
私が購入した2011年の第75冊の帯には、こうあります👇
「ちょっと心が折れたとき
新たな一歩を踏み出すとき
大切な人を想うとき
何かを変えたいと思ったとき
そして何も変わらないとき
この本はいつもあなたのとなりにいます」
あなたの隣に置いて、折に触れて読んでみてはいかがでしょう。
「だめな人」である私は、考えさせられ、寄り添ってもらい、力をもらっています。