倚(よ)りかからず
「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない/もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない/もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない/もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない」
これは茨木のり子さんの詩集「倚りかからず」(ちくま文庫)の表題作の冒頭部分です。この詩集は130ページほどですが、高瀬省三さんの挿画も素敵ですし、茨木さんを「少女時代から敬愛してきた」という山根基世さんの「誇るのではなく、羞じる人」と題した解説も素晴らしいです。
その解説で、山根さんは、この詩についてこんな風に書いています。
「あの日、私の『倚りかからず』の朗読を聞いていた茨木さんは『われながら威張った詩ですね、散文と違って詩は、言葉を削っていくからどうしても言葉が強くなるのね』と、言葉の強さを羞じるように笑っていらした」。そして続けます。
「『自分の感受性くらい』にも共通しているが、茨木さんの中には、誰もが『自分の感受性を信じ、自分の耳目・自分の二本の足のみで立て』ば、世の中はもっと良くなる、少なくとも戦争に流されることは防げるという信念があったに違いない」
「自分の感受性くらい」も、とても有名な詩で、こちらもご存知の方は多いでしょう👇
「ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな/みずから水やりを怠っておいて/気難かしくなってきたのを/友人のせいにはするな/しなやかさを失ったのはどちらなのか」で始まり、「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」で終わります。
「するな」が繰り返され、最後は「自分で守れ/ばかものよ」です。先ほど以上に「言葉が強く」なっていますが、以下の山根さんの解説を読んで腑に落ちました。
「そんな簡単なことが戦後60年経ってもなお実現しないことがもどかしくてならなかったのだろう。つい真っ直ぐなもの言いになる。強い言葉になる。だが一方で、そんな正論を語らずにいられない自分をもてあまし、羞じる気持ちもある。だから韜晦する。それが自分を茶化す表現になるのではないかと、私は解釈する。信念を持つ自分を誇るのではなく、羞じるところが茨木さんらしい」
ちなみに、この詩は詩集「倚りかからず」には入っていません。ちくま文庫の「茨木のり子集 言の葉2」から引用しました。「言の葉」は詩だけでなくエッセイなども入った年代別の自選作品集で、1は1950年代~60年代、2は1970年代~80年代、3は1990年代となっています(「倚りかからず」は「言の葉3」に入っています)。
山根さんは、先の解説でさらにもう一つ「汲む」という詩に触れています。
「大人になるというのは/すれっからしになることだと/思い込んでいた少女の頃/立居振舞の美しい/発音の正確な/素敵な女のひとと会いました/そのひとは私の背のびを見すかしたように/なにげない話に言いました/初々しさが大切なの/人に対しても世の中に対しても/人を人とも思わなくなったとき/堕落が始まるのね 墜ちてゆくのを/隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました」
以上は冒頭部分なのですが、山根さんは「あらゆる仕事/すべてのいい仕事の核には/震える弱いアンテナが隠されている きっと…」という最後の方の部分を引き、書きます。「仕事がうまくいかず、すっかり自信を失い絶望しているとき、この詩にどれほど励まされたことだろう」
全部を紹介しないと、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、これに続いて山根さんは「私だけではない、気弱になりながらも仕事を続ける多くの人に、とりわけ働く女性に『効く』詩ではないだろうか」と書いています。ぜひ作品を手に取って読んでみてください。「汲む」は「言の葉1」にあります。
最後に詩集「倚りかからず」から、もう一つだけ「行方不明の時間」という詩を👇
「人間には/行方不明の時間が必要です/なぜかはわからないけれど/そんなふうに囁くものがあるのです
三十分であれ 一時間であれ/ポワンと一人/なにものからも離れて/うたたねにしろ/妄想にしろ/不埒なことをいたすにしろ/遠野物語の寒戸の婆のような/ながい不明は困るけれど/ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です」
もう少しだけ引用します。
「所在 所業 時間帯/日々アリバイを作るいわれもないのに/着信音が鳴れば/ただちに携帯を取る/道を歩いているときも/バスや電車の中でさえ/<すぐに戻れ>や<今 どこ?>に/答えるために」
茨木さんの詩の数々から、私も「どれほど励まされた」ことでしょう。
次回も茨木さんについて書く予定です。