きょうは、前回(#131 反戦と平和を訴え続けた映画監督 黒木和雄「私の戦争」 | アルビレックス新潟と本のある幸せ (husen-alb.com))で紹介しきれなかった、黒木和雄さんの戦争鎮魂歌三部作の完結編「父と暮せば」について書きます。
原作は、井上ひさしさんの同名の戯曲(新潮文庫)です。ストーリーは、前回紹介した黒木和雄さんの「私の戦争」に、黒木さんがうまくまとめられているので、以下に引用します。
「原爆投下から3年たった1948年の広島。自分ひとりだけが生き残ってしまったことに負い目を抱き、幸せになることを拒絶しながら生きている娘、福吉美津江。そんな彼女の前に原爆で死んだ父、竹造が幽霊となって現れた。大学で教鞭をとっている青年、木下が美津江に思いを寄せ、美津江もまた木下に恋のときめきを抱いたことを知った竹造は、娘の『恋の応援団長』を自認してあの手この手を使って美津江の心を開かせようとする…。そんな四日間の物語です」
これに続いて黒木さんは、この作品を映画化したいと切実に思ったと以下のように記しています。
「自分より美人で優秀だった親友を亡くし、建物の下敷きになった父親を見捨てて逃げ、ひとりだけ生き残り、『自分より助かるべき人がいた』『生きているのが申し訳ない』『幸せになる資格がない』と思いながら生きている福吉美津江の姿は、私の体験と重なります」
黒木さん自身も、1945年5月8日に米軍機による爆撃を受け、「瀕死の学友を助けようともせず、ひとりだけ逃げて生き残った私、いまだに罪障感をひきずっている」からです。
井上さんの原作のラスト近くに、とても胸を打つシーンがあります。
竹造「わしの分まで生きてちょんだいよォー」
美津江(強く頷く)…。
竹造「そいじゃけえ、おまいはわしによって生かされとる」
美津江「生かされとる?」
竹造「ほいじゃが。あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。おまいの勤めとる図書館もそよなことを伝えるところじゃないんか」
美津江「え…?」
竹造「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」
黒木さんは、この場面を引用し、「このセリフは私に向けれれた言葉でした」とし、もしかしたら亡霊となった11人の学友たちが、「戦争の正体を描いて」と、励ましてくれているかもしれませんと書いています。
映画は、「できるだけ原作を大切にしながら」描かれていますが、「映画的な新たにシーン」が創作されています。
原作では二人芝居なのですが、映画では木下青年を登場させています。このため出演者は、宮沢りえさん(美津江)、原田芳雄さん(竹造)、浅野忠信さん(木下青年)の3人です。
また、美津江の働く図書館などが映像化されているほか、原爆投下の瞬間や、原爆投下から3年たった広島の街などのシーンがCGで再現されています。
真摯で真っ直ぐに演じる宮沢りえさん、そして「恋の応援団長」の父として、時にユーモラスに、娘を懐深く包み込むように演じる原田さんの、2人の演技に引き込まれます。99分の作品ですが、あっという間です。
最後に、「私の戦争」にある宮沢りえさんの撮影時のエピソードを紹介して終わりにします。
宮沢さんは「広島と長崎で亡くなった人びとに、心から冥福を祈りたい、広島に行って原爆のことをこの眼でしっかり勉強したい。現在の街も歩いてみたいので行かせてください」と、忙しいスケジュールの合間を縫って、一人で広島を訪れたといいます。
広島平和記念館資料館を訪れた宮沢さんの様子を、案内した人は黒木さんに次のように話したといいます。
「いままでいろんな芸能人が来たけれど、みんなおざなりに見ていきました。しかし彼女はちがいました。ともかく、一日じゅう貼りついたように見てまわって、ときには涙ぐみ、ほんとうに真剣に見ていました。あの女優さんはただものじゃないですよ。黒木さん、安心してやれるんじゃないですか」
「父と暮せば」の井上ひさしさんの原作、そして黒木和雄さんの映画、さらには戦争レクイエム三部作の他の2作品とも、ぜひ読み、見ていただければと思います。