疾走青春小説

今回は三浦しをんさんの「風が強く吹いている」(新潮文庫)を紹介します。読んだことがある方も多いと思います。この作品は素人が大半の大学生10人が箱根駅伝に挑む物語です。

「そんなことあり得ない」と思いながらも、どんどん引き込まれます。次のセンテンスを読んでみてください。

「ゴムの靴底が硬いアスファルトを弾く。その感触を味わいながら、蔵原走(かける)は声もなく笑った。/足先から伝わる衝撃を、全身の筋肉がしなやかに受け流す。耳もとで風が鳴っている。皮膚のすぐ下が熱い。なにも考えなくても、走の心臓は血液を巡らせ、肺は乱れなく酸素を取りこむ。体はどんどん軽くなっていく。どこまでだって走っていける」

タン、タン、タンとリズムを刻む足音、呼吸の音、風の音…。まるで聞こえてくるようで、自分も走っているような気分になります。

「広告」(クリックすると別サイトに飛びます)

「『駅伝』って何? 走るってどういうことなんだ? 十人の個性あふれるメンバーが、長距離を走ること(=生きること)に夢中で突き進む。自分の限界に挑戦し、ゴールを目指して襷を繋ぐことで、仲間と繋がっていく…風を感じて、走れ! 『早く』ではなく『強く』―純度100パーセントの疾走青春小説」

上は、本書のカバーから引用しました。
まさに、読む方も一緒に駅伝を、そして青春を疾走できる小説です。

努力神話について考える

ほぼ素人軍団が箱根駅伝を目指す。私は「そんなことあり得ないだろう」と書きました。そう思う人も少なくないのではないでしょうか。

本書の解説で最相葉月さんは、「まるでファンタジーだ。本書にはそんな批判めいた感想も寄せられたという。だが、そんなことはだれよりも著者自身が、この物語を着想した時点で考えたはずだ」とし、次のように書きます。ちょっと長いですが引用します。

「執筆に6年を要したと聞き、(略)私は、著者が挑んだ思考実験のスケールの大きさに改めて圧倒された。ストーリーを裏付けるディテールのたしかさを得るために、何人もの箱根駅伝の経験者や関係者に話を聞き、現場へ何度も足を運んだのだろう。

そこまでしてなぜ著者は、あえて小説で駅伝を書こうとしたのか。本書を初めて手にしたときからの問いをここで改めて思い返してみると、彼らの言葉がこれまでとは違う音色で響き始める。<俺たちが行きたいのは、箱根じゃない。走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所>」

「広告」(クリックすると別サイトに飛びます)

行きたい場所とは どこなのでしょうか? 最相さんは続けます。

人には、なんのためとか、誰のためといった目的の定かでない行為を無性に必要とするときがある。それがなぜなのかは手にするまでわからないし、手にしたとしても他人に教えられるものではない。

ただ、それはその人の人生を昨日までとはまったく違う色に塗り替える。著者がこの直球勝負の物語で描いたのも、小説によってのみたどり着ける「もっと遠く、深く、美しい場所」だったのではないか

どうでしょう。すてきな、沁みる言葉の連続ですね。「これは、読まなくては」と思ってしまいます。

三浦しをんさん自身は、最相さんの問いに「ストレートに取り組みたいと思うほどに箱根を目指す学生たちが魅力的でその真剣さに打たれたことはもちろんだが、それ以上に、平明なストーリーの中で努力神話について考えてみたかったと語った」といいます。そして最相さんは、これに続けて三浦さんの言葉を、そのまま紹介しています。

「私自身、報われなかったのはがんばらなかったという考え方に納得がいかないからです。才能や実力のない人に到底たどりつけない目標を与えてがんばらせるのは、人間を不幸にすると思う。できる、できないという基準ではない価値を築けるかどうかを、小説を通じて考えてみたかった。報われなかったといって、絶望する必要はないんじゃないか、と」

待っていてくれる仲間がいる

風が強く吹いている」は、映画やアニメなどにもなっていますけど、ぜひ本でも読んでいただければと思います。以下、作品から私が「付箋した」いくつかを紹介します。

「一人ではない。走りだすまでは。/走りはじめるのを、走り終えて帰ってくるのを、いつでも、いつまでも、待っていてくれる仲間がいる。/駅伝とは、そういう競技だ」

学校の名を背負って走ることにも、ましてや世界の大舞台で記録を残すことにも、なんら未練はなかった。そんなことよりも、風を切って前進する自身の肉体を感じながら、自由に走るほうが魅力的だった。組織の思惑や功名心にがんじがらめになって、実験体のように管理される毎日には飽き飽きしていたのだ

強さとは、これなのかもしれない。苦しくてもまえに進む力。自分との戦いに挑みつづける勇気。目に見える記録ではなく、自分の限界をさらに超えていくための粘り

「無意味なのも悪くない、ということだ。走るからには、やはり勝たなくてはならないのだ。だが、勝利の形はさまざまだ。なにも、参加者の中で一番いいタイムを出すことばかりが勝ちではない。生きるうえでの勝利の形など、どこにも明確に用意されていないのと同じように」

    ◇    ◇

スポーツについては、6月あたりの特集にしようと思っています。特集では小説などを入れると多くなりすぎることもあり、今後スポーツにまつわる小説もどんどん紹介していこうと思っています。本選びの参考にしていただければ、うれいしです。

「広告」(クリックすると別サイトに飛びます)