「超がつく水嫌い」が40過ぎて水泳に挑戦

「超がつく水嫌い。小学生の時にプールで溺れて救急車を呼ばれた」ー。

そんな著者が、40歳を過ぎて水泳教室に通い「悩みながら、愚痴りながら、『泳げる』と『泳げない』の間を漂った2年間」を綴った、「混乱に次ぐ混乱、抱腹絶倒の記録」です。

今回ご紹介する髙橋秀実さんの「はい、泳げません」(新潮文庫)は、泳げない人も、泳げる人も楽しめる内容です。さらには「教えること」について考えさせられ、学ぶこともできます。裏カバーには「<泳げない人>が書いた水泳読本」とありますが、大げさかもしれませんが「水泳」」を「人生」に変えてもいいかもしれない、そんな一冊です。

著者は「プールで溺れて救急車を呼ばれた」経験があると上に書きました。それはこんな具合だったそうです。

親戚のおじさんや近所のおばさんたちに町のプールに連れて行かれ、足の着かない大人用プールの小島に浮輪で運ばれていきます。
「『本来、誰でも泳げるはず』というおじさんの話を真に受け、勇気をふりしぼって大人用プールに足から入った。そして、『あれっ、足が…』と思う否や、そのまま水に吞み込まれ、救急車で病院に運ばれた」そうです。

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このような経験がある髙橋さんですから、「泳げる人たちはよく、『子供の頃、突き飛ばされて泳げるようになった』とライオンの子育て物語のように語るが、これは疑わしい」と書き、次のような例を挙げます。

「ある会社員も、小学校時代に水泳の授業中、先生から『みんなプールから上がれ。お前、ひとりで泳いでみろ』と追い詰められ、嘲笑の中でおぼれ、以来、泳げない人になった。泳げない人たちは『追い詰められて泳げなくなった』のである」

学校の体育の授業でスポーツ嫌いになった。そんなことを、たまに聞きます。考えさせられるエピソードです。

さて、話がちょっと硬くなってしまいましたが、何といってもこの本の一番の面白さは、著者とコーチのやりとりです。


コーチは高橋桂さんという方で、選手時代は400メートルと800メートルの自由形で活躍し、オリンピック日本代表選考会で8位以内に入ったこともあるそうです。

文庫本には著者と桂コーチ、同じスイミングスクールの生徒である作家の小澤征良さんによる鼎談「泳ぐしあわせ」があるのですが、上の写真の中央が桂コーチです。

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その桂コーチの指導について著者は「彼女のように指導内容が刻々と進化を遂げ、さっきは『水をかかないで下さい』と言っていたのに、今は『水をかく時は手を…』などと矛盾をきたす教え方は珍しいだろう」と書いています。

それに混乱しながら「悩みながら、愚痴りらがら」取り組む著者と、コーチや仲間たちのやりとりが、楽しく、時には切なくもあります。

作品は8章で構成されていて、各章の最後に「桂コーチのつぶやき」があって、これがまた面白いです。たとえば、こんな感じです。

「『桂コーチは毎回言うことが変わる』って皆さんおっしゃいますよね。『コーチがまた進化した』って。あれはね、『変わる』んじゃなくて、言い方をわざと『変えている』んです。皆さんの進み具合を判断して、同じことをさせるにも、言い方を日によって変えると、より皆さんが『進歩』するからなんです」

ほかにも「高橋さん、『泳ぎたい』という気持ちがなさ過ぎる。あることをマスターすると、それで満足しちゃう。反復しない。それじゃ、泳ぎ、身につかないですよ。もったいないですよ」といった強烈なパンチが飛ばされたりしていて、笑ってしまいます。

鼎談でもご紹介したいことはいっぱいあるのですが、1個所だけ。

「ヒデミネさん(=著者)みたいに哲学的に考えながら泳いで、その結果、プールに仁王立ちになっていたんだって知ってすごいと思った。感動しました!」。これは、小澤征良さんの発言です。

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この「哲学的に考えながら泳いで」というのが、まさに水泳に向き合う著者の姿勢を的確に表しています。「禅とは『水泳の心得』。泳ぐとはすなわち悟りなのである」と、禅や仏教に向き合ったり、古式泳法を習ったり、深海生物学者が出てきたり…と、読んでいて飽きません。

小説は、映画化され6月10日に全国公開されるそうです。

長谷川博己さんと綾瀬はるかさん主演、納得のキャスティングですね。
そういえば、お二人はNHKの大河ドラマ「八重の桜」で夫婦役で共演していましたね。
どんな作品に仕上がっているのでしょうか。公開が楽しみです。

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