努力、悩み、恋、葛藤…生き生きと
高校で陸上に打ち込む陸上部員たちの努力する姿、悩み、恋愛、家族との葛藤などが生き生きと描かれ、まるで自分も部員になったように、走り、応援しているような気分になります。
1~3巻の3部構成ですが、テンポのいい文章が心地よく、爽やかな風を受けて疾走する主人公たちと一緒となって、駆け抜けるように一気に読め、力をもらえる一冊です。
佐藤多佳子さんの「一瞬の風になれ」(1~3巻、講談社文庫)は、高校の陸上部の3年間、特に短距離の選手と400メートルリレー(4継)のメンバーを中心に描いた作品です。
舞台となるのは神奈川県の春野台高校の陸上部で、佐藤さんは実際にある県立麻溝台高校の陸上部を4年間かけて取材したそうです。
主人公の神谷新二は中学までサッカーをやっていましたが、高校に入学して陸上部に入ります。彼の兄・健一は天才的なサッカー選手で、高校を卒業するとジュビロ磐田に入ります。
そんな兄への複雑な思いもあり、また幼なじみで、こちらは天才的スプリンターの一ノ瀬連が同じ高校に進んだこともあり、陸上に挑戦します。
作品を読むと、陸上も団体競技なのだ、ということが分かります。
たとえば、県内の強豪校の監督の次のような話が書かれています。
「部が選手を育てるんだぞって。いい選手といい指導者がいても、まわりに競い合ういい仲間がいないと、なかなか伸びないものだってな。部員同士が影響を与え合って、練習であいつがここまで頑張れるなら俺もとか、試合であいつがここまでやれるなら俺もとか、相乗効果で全体がレベレアップしていくのが理想だって」
春野台高校は普通の公立高校で、陸上部には実績のある選手がそれほどいるわけではありません。地区予選を突破することが目標の選手もいれば、県大会、南関東大会を突破することが目標の選手もいます。
春野台高校の監督が目指すのも、「タイムを0・01秒縮めること。距離を1センチ伸ばすこと。予選で終わらずに準決勝に進むこと。地区で終わらずに県に進むこと。それぞれの可能性に挑むこと」なのです。
本書は2007年の本屋大賞の大賞受賞作で、文庫の帯には「読者からの声、続々」とあります。
「僕は野球部なのに夢中になって読むほど素晴らしい本だと思っています」(10代/男性)
「いろんな年代の人に読んでほしい。わが家の親戚も高校生から社会人、50代の私までも読んでいました」(50代/女性)など、10代から70代までの幅広い年代の読者からの声が紹介されています。
本書には、以下のような「言葉」が出てきます。
「努力の分だけ結果が出るわけじゃない。だけど何もしなかったらまったく結果は出ない」
「おまえの一番の武器は、一ノ瀬と違って、ハードで地味な練習に耐えられる心身があることだ。どのスポーツもそうだが、陸上は特に地味な努力の気が狂うような積み重ねだ。どこまでも練習できるかってのも才能の一部だ」
「人生は、世界は、リレーそのものだな。バトンを渡して、人とつながっていける。一人だけではできない。だけど、自分が走るその時は、まったく一人きりだ。誰も助けてくれない。助けられない。誰も替わってくれない。替われない。この孤独を俺はもっと見つめないといけない。俺は、俺をもっと見つめないといけない。そこは、言葉のない世界なんだー」
陸上だけでなく、あらゆるスポーツに取り組んでいる人、中学生や高校生だけでなく、いろんな人に読んでもらいたい作品です。
最終巻の3巻には、文庫版の特別座談会として「『一瞬の風』3年目の同窓会」が掲載されています。座談会には、佐藤さんが取材した4年間の、「4継走者を中心に14人が集まった」ということです。
座談会は「読者の方々へ小説とは違った<リアル高校陸上部>を感じていただければと思い」企画されたといいます。
まさに、高校時代の思い出がリアルに語られ、楽しく読めます。この中から、そこでは引用されている作品の一部のうち、二つをご紹介して、終わりにしたいと思います。
「おまえの走りを見ていたいんだ。短距離やってるモンの夢だ、おまえの走りは。一度でいいから、おまえみたいに走ってみたいよ。夢を見るよ」
「出たい気持ちはわかる。イヤッてほどわかる。俺も昔はこの部でスプリントやってたからな。でも、ダメだよ。間に合わないよ。医者にも言われたろ? 無理に間に合わたりしたら、もっとひどくする。そんなことはさせられねえよ」