なぜ応援するのか

今回は、最相葉月さんの「東京大学応援部物語」(新潮文庫)を紹介します。東大といえば東京六大学野球でほとんど勝つことができません。そんな彼らを応援している応援部は「応援に何を求めているのか?」

解説は、前々回#22で紹介した「風が強く吹いている」の著者・三浦しをんさんが書いています。「風がー」の解説は最相さんが書いていますので、今回は逆パターンですね。
本書の解説で三浦さんはこう書いています。

「『東京大学応援部物語』は、これと思い定めたただひとつのことを選び取ることのできた、幸運な、しかしその幸運に見合うだけの意志にあふれた人々の、輝く生を読者に伝える。
私たちはスポーツそのものに感動するのではない。スポーツをする人間、そしてそれを我がことのように一心に見つめ、応援せずにはいられない人間の姿に、感動するのだ」

理屈ではない、選手が頑張っているから

物語は、北信州の戸狩野沢温泉から始まります。
「『わぁおぅわぁおぅ、とぉあーだい。わぁおぅわぁおぅ、とぉあーだい』/午前10時ごろ、青々とした畑の合間を切るように続くアスファルトの緩やかな下り坂を大声を上げて走る一群があった。

(略)先頭の男を中心におしくら饅頭のようにぶつかり合い、50メートルほど走りると馬跳びをし、再びぶつかり合ってまた50メートル走ると、今度は互いを負ぶって走った」

東京大学運動会応援部の夏合宿の様子です。夏合宿は一週間行われ、まれで運動部のように、あるいはそれ以上の厳しい練習が続きます。

「広告」(クリックすると別サイトに飛びます)

ある部員は「運動会の部活の中でも、応援部ほどやめたいと思う部はないんです。理不尽なことばかりだし、練習も決して効率的とはとはいえない」と話します。でも、「ぶち切れさせて更なる成長を促すというんでしょうか。おかしいと思うし、おかしいと思わせるようにやっている」

別のある部員は、やめたいと口に出したことは一度もなく、それが彼の誇りであるといいます。「やめることは逃げること、と考えていた。かつて立教大学の応援団長を務めた宇津祐介の言葉に引かれた。それは、『応援する人間は、応援される人間より強くなければならない』ということだった。より努力する人間こそ、人に対してがんばれ、といえると

なぜ応援するのか。これほどまでして応援することに何の意味があるのか」と記し、最相さんは続けます。

それは、応援部にいた先輩たちすべてが通り過ぎていった問いなのだろう。そして、引退したOB・OGの人数分の答えがあるのだろう。山口が引退前に淡青祭のパンフレットに記した、『なぜ応援するかは理屈ではない、選手が頑張っているから応援するのだ』という言葉もまた、山口が4年間かけて自分自身で手にしたものだ

きっと報われると信じて

解説で、三浦しをんさんは、こう綴ります。

「そうだ、そうなんだ。私は鼻水をすすり、曇る視界に難儀しながらページをめくった。ここに描かれているのは、犠牲なんかではない。ただ、真剣な気持ちがあるだけだ。報われなくてもいい。応援したいからする。応援部の仲間と力を合わせ、声が枯れようともぶっ倒れようとも、応援して応援して応援しまくる。自分たちの応援によって、選手が力づけられることを願って。がんばってきた選手たちが、いつかきっと報われると信じて」

三浦さんは、こんな風にも書いています。

「つまり東大応援部は『勝利』というわかりやすい形で報われることの少ない応援活動に対して、常に自問自答し、応援の意義を探して苦悩せねばならないのである。

断言してもいいが、『応援』という行為についてこんなに悩んでいるひとたちは、日本広しといえどもほかにない。スポーツを観戦するものは、たいがい気軽に『がんばって!』などと言っているのである。重厚なる思考と克己の果てに応援されても、選手のほうとしても困惑してプレッシャーを感じちゃいそうだ。しかし、そこはさすがに東大生だけあって、真面目かつ深く自問自答しつづけてしまう応援部員たちなのだった」

「広告」(クリックすると別サイトに飛びます)

大学の応援部と、サポーターを一緒に論じることはできません。サポーターは、それぞれのスタイルで応援すればいいと思っていますし、気軽に「がんばって!」などと応援するのも立派なサポートだと思います。

本文中に、こんな「言葉」がります。

「そんなこと無理だとあきらめた瞬間に応援席のムードは沈んでいく。それを阻止するのが彼らの務めなのである。何が起ころうと打ち砕くことのできる揺るがぬ精神力を持つために、あれほど厳しい練習を重ねてきたのだ。戦っているのは野球部だけではない。彼らもまた、逆転を信じ、共に戦っていた」

ビッグスワンでも先制されたときなどにムードが沈むことがあります。そんなときには、ゴール裏の中心部の方々が太鼓をたたき、「逆転するぞ」とチームを、そしてサポーターを鼓舞してくれます。スタジアムの雰囲気が「何かを起こす」ことは、私たちは”代打リマ”で経験しています。

「広告」(クリックすると別サイトに飛びます)

本書に描かれる、応援部の「理不尽なことばかりだし、練習も決して効率的とはとはいえない」体質には、私は強い違和感を覚えます。この作品は、2002年に取材されたものですから、応援部の姿も現在は時代にそったものに変わっていることでしょう。

「『応援』という行為についてこんなに悩んでいるひとたちは、日本広しといえどもほかにない」東大応援部の物語が教えてくれるのは、「応援って何」ということだけではありません。たとえば三浦さんが解説に書くように「ひとの心を磨き、ひとの一生を真実の意味で豊かにし、ひとを幸福にするものはとはなんなのか」が本書には描かれています。

人の生き方についての「言葉」がいっぱいつまっています。文庫本で200ページちょっとです。お薦めです。

「広告」(クリックすると別サイトに飛びます)