前々回のブログ#35「跳べ、暁!」で、部活動での体罰について少し触れました。
最近、熊本県の私立高校サッカー部のコーチが、部員に殴ったり蹴ったりする暴行をしていたことが発覚し、問題となっています。

体罰は、いかなる理由があろうと許されることではありません。
しかし、家庭や学校、職場などで、体罰がなくなることはありません。

それは、教育やしつけ、指導などに名を借りた「暴力」が、いまだに「愛のむち」として容認される空気があるからではないでしょうか。

今回は、「体罰」を考えるための一冊として、2012年12月23日に、大阪市立高校の男子バスケットボール部キャプテンが自らの命を絶った事件のノンフィクション「桜宮高校バスケット部体罰事件の真実」(島沢優子、朝日新聞出版)を紹介します。

「私の脛は、左右で形が違う。今はもうあまり目立たなくなったが、左足の前面がひどく平らだった。/なぜなら、バスケットをしていた高校の顧問の『利き脚』が右だったから。そう、3年間、蹴られ続けたからだ」

本書は、全日本大学選手権で優勝経験もある島沢さんの、自らの「体罰」経験の告白から始まります。

少年はなぜ自殺に追い込まれたのか。島沢さんは、家族や学校関係者などを丁寧に取材し「真実」に迫っています。

桜宮高校はインターハイに何度も出ている強豪で、顧問の男性教諭は事件のあった18年前から勤務していました。このため学校も異動させられず、他の人が口をはさめる雰囲気ではなかったといいます。

亡くなった少年は顧問から恒常的に体罰や暴言を受けていました。

自殺する4日前、少年は顧問あての手紙を書きます。

「先生が練習や試合で、自分ばかり責めてくるのに僕は不満を持っています」


「僕だけがあんなにシバキ回されなければならないのですか? 一生懸命やったのに納得いかないです。理不尽だと思います」


「僕は問題起こしましたか。キャプテンしばけば解決すると思っているのですか。もう僕はこの学校に行きたくないです。それが僕の意志です」

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切ない言葉が並びます。しかし手紙は、顧問には渡されませんでした。文面を読んだ部員に止められたからです。

一方で少年は、顧問に人格や存在を否定され、理不尽な理由で叩かれていたにもかかわらず、自殺前夜「できへん俺が悪いねん」と母親に漏らしていたそうです。

この「叩かれるのは自分のせい」という自責の念は、「叩かれても認められたい。顧問に見捨てられたらおしまいだ」という「見捨てられ感」がベースにあるといいます。

虐待されている子どもも、「叩かれるのは私が悪いから」と自責するそうです。隔離させられそうになると「ママは悪くないからおうちに返して」と親を求めることが多く、これは、叩かれる痛みよりも、見捨てられる痛みのほうが怖いからだそうです。

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本書には、高校指導者のこんな声も紹介されています。

「桜宮の自殺は本当にショックだった。自分も生徒を相当殴ってきたから、同じことが起きてもおかしくなかった。ひとつのチームを任されている僕らは一国一城の主。周囲は、先生その指導じゃダメですよとはなかなか言ってもらえないから、自分を省みることができない」

高校での指導経験がある、元アルビレックス新潟監督の吉永一明さんが先日、次のようなツイートをしていました。

全く同感です。
「お互いのリスペクトが欠けた社会構造」を変えていくことが求められていると思います。

著者の島沢さんは、「スポーツには、教育だけでなく社会そのものを変える力があると信じたい」と、体罰の追放を訴えます。

未来を作る子どもたちを、体罰をしないよう「養育」することだ。「体罰をしない子育てや教育が、体罰をしない大人を育てる。その大人が体罰のない社会を作る。この養育は、子どもへの虐待の根っこを抜くことにもなるのだから」

「すでに15~17年間人任せにしてきた高校生を変えるのは難しい。だからこそ、幼児期から家庭、学校、サッカー(スポーツ)と、すべての環境で大人が叩いたり、怒鳴ったりせずに自発性や自考力を重視して育てれば、子どもの未来はがらりと変わるに違いない

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スポーツだけでなく、子育てや、教育(社内教育も含めた)、いじめなどについて考えるのにとても参考になる一冊です。

なお「自発性や自考力を重視」した指導法については、本書にも紹介されている
「叱らず、問いかける」(廣済堂ファミリー新書)など池上正さんの著書、

佐伯由利子さんの「教えないスキル:ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術」(小学館新書)などがお薦めです(両方とも、いずれこのブログで書こうとは思っていますが…)

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